新米社長のための「会計の話」・・・その2

2017年10月12日

<会計は事業の言語である!>

「会計は事業の言語である」といわれます。確かに業種や規模等に関わらず、また、国の如何を問わず、その会社の決算書を見れば会社の事業活動の結果が理解できるからです。それは、決算書が全ての事業に共通する「会計という言語形式」を持つからです。

即ち、会社の膨大な事業取引を会計の言語である「勘定科目」という単語に翻訳し、複式簿記という文法でもって整理統合し、決算書という報告様式で表現します。この意味で会計はビジネス社会の共通言語であるといえます。

ただ、「会計は事業の言語である」との言葉の中身は会計がビジネス社会の共通言語であるという意味だけではありません。

ではどういう意味なのでしょう。

横浜市立大学名誉教授の青柳文司先生は早くから「会計は言語である」との見方で研究されています。「会計」そのものが一種の言語活動であるとの見方によるものです。

その考えの一端を拝借して会計の世界を「記号論」の見方で考えてみます。

 

<記号と会計>

人間は記号を使用する動物です。記号を通じて考え、記号を見てその次に来る事態を予測し、反応し、準備します。記号によって人間関係を維持し、記号を解釈して人間社会が成り立っています。

現実に札束を見なくても預金通帳の残高を見ておカネの在り高が理解できるわけです。通帳の預金残高は札束を対象とする記号です。更に札束も記号です。これで何が買えるのかが予測できます。

ただ、人間の育った環境、歴史、文化などによって記号を見ての反応、予測、準備の仕方は異なります。記号を解釈する人によって記号に含まれる意味の捉え方が異なるからです。

会計は事業の膨大な取引を勘定科目という会計の言葉に翻譯すると言いました。ここで翻訳された勘定科目は事業取引を記号化したものです。記号化された事業取引が組織的・統一的に整理されて決算書になる訳です。そして事業内外の人々は記号化された事業体の姿を見て何かを予測し、反応します。そこに決算書を巡る人々の阿鼻叫喚の世界があります。

 

<記号論>

確かに会計を一種の記号活動の一形態と見る見方があります。会計を記号活動として見たらどういうことがいえるのでしょう。

記号に関する研究分野を記号論といいます。

記号論には意味論、構文論、語用論の三つの分野があります。

  • 意味論とは記号とその記号が意味する内容に関する研究分野です。会計の世界では「仕訳」の世界がこれに相当します。
  • 構文論とは記号と記号の関係に関する研究分野です。記号に働く文法などの世界であり、会計の世界では複式簿記の法則に関する世界です。
  • 語用論とは記号とその記号を利用する人間との関連を研究する分野です。会計の世界では決算書とその利用者たちの予測、反応、準備、行動等に関わる世界です。

「会計」を「記号活動の世界」として見ると、会計における「仕訳」及び「複式簿記」並びに「会計を巡る人々」の位置関係がよりよく理解できます。

記号論では意味論の世界が特に発達しています。「意味とは何か?」からスタートです。会計の世界では「仕訳」が出発点となります。

 

<会計の生命は「仕訳」にある>

会計は「勘定科目」と「金額」という記号で対象を表現します、また、「勘定科目」という単語は限られた数しかありません。膨大な事業取引を限られた数の単語に翻譯しなければなりません。これが会計における「仕訳」の世界です。

会計学の世界は棚卸資産会計、固定資産会計、売上高計上基準、引当金計上基準等々いわゆる会計方法論の勉強が盛んです。大学の授業も会計士試験も会計学の勉強といえばこれらを学ぶことが中心です。これは翻訳すべき対象である企業の出来事をいかに的確に会計という言語に翻譯するかという、いわば翻訳技術の勉強といっていいでしょう。

ただ、会計理論を学んだからといって適切に会計が出来るとはいい切れません。それ以前に、翻譯される対象である事業の取引実態をしっかり理解できていなければ翻訳そのものがおぼつかないでしょう。また、翻訳にあたっての実務慣習などに精通していないと適切な翻訳は困難です。

この意味で会計の生命はいかに適切に生きた「仕訳」が出来るか否かにあるといっていいでしょう。

 

<「仕訳」の世界>

例えば損益計算書に「旅費交通費」という費用項目があります。ここで言う「旅費交通費」とはいわゆる一般用語ではありません。勘定科目としての「旅費交通費勘定」といういわば会計の専門用語としての単語です。

これがどのように違うのか少し見てみましょう。

  1. 仕事で出張して新幹線の切符代を精算した・・・・「旅費交通費」
  2. 通勤定期代を支払った・・・・・・・・・・「給与―通勤手当―」
  3. 客の接待でタクシー代を払った・・・・・・・・・・・「交際費」
  4. タクシーのチケットをあらかじめ買い置きした・・・・「仮払金」
  5. 出張のホテル代を支払った・・・・・・・・・・・「旅費交通費」

同じように見える交通に関わる費用であってもその内容によって様々な勘定科目に区分されます。どのような内容であるのかを十分に理解しなくては適切な翻訳にはなりません。

このことは「売上高」であっても「仕入高」であっても同じことがいえます。どのような勘定科目であっても同じことです。

事業体の中では常にモノが動きヒトが動き情報が動いています。これをどのタイミングでどのような金額で、どんな勘定科目で翻訳するのか?これが会計の出発点であり会計の生命線がここにあるといっていいでしょう。

 

<取引と仕訳の世界>

1、「売上高」をいつ認識し計上するかは常に問題となりやすいところです。

一般に売上高の認識時点は「出荷基準」といわれて製品等が客先に向けて出荷 された時点で「売上高」として計上されます。ただ、例外もあります。

営業部門は当年度の売上高予算があります。どうしてもこれを達成したい時、客先と合意して当社倉庫に在庫したまま客先の了解の基、売上高に計上することもあります。「預かり売上」などとも呼びます。この場合には例外を正当化するべく客先が当該製品を引き取ったとの確認が必要です。従って、客先からの「預け証」の入手、こちらからの「預かり証」の発行などは最低限揃えておく必要があります。

即ち、少なくとも客先が「買った」、こちらが「売った」という証拠を揃えて   おく必要があります。

「売上高」という会計の言葉に翻譯するにはその会社で定められた内部手続きをクリアーしなければなりません。この内部手続きを一般に「内部統制制度」といいます。

従って、適切に会計が行われるためには適切な内部統制制度が社内で確立して いることが大前提となります。

公認会計士等が行う会計監査の主な仕事はこの内部統制制度がしっかりしているかどうか?現実に機能しているかどうかを確かめることが大きな仕事となっています。

2、 完成品が出来るまでには様々な工程があります。最終製品となる前に一部の加工工程が必要なことがあります。この際に特定の加工工程を外部に発注する事があります。

A社はいわゆる外注による取引形態です。外注先にある半製品はA社の在庫品であり外注加工に掛かる費用は外注費という製造費用となります。

一方、B社のように半製品を加工先に売却して、加工された品物を改めて購入するという取引形態があります。売却された半製品は相手先に管理責任があるということになります。

A社、B社ともに似かよった加工工程ですが取引形態が異なれば会計も違ってきます。どちらが正しいかではなく、その会社にとってはどちらが管理しやすいかの問題です。

外注という取引形態をとるA社に比べ外注先に移動した半製品を売上高として計上するB社はA社に比べて売上高も仕入高も増加します。

場合によってはB社の場合、「売上高」という数字を求める余り、外注先に半製品を押し込んで「売上高」をかさ上げすることが容易にできるかもしれません。

会計の仕訳は取引形態によっても変わるものです。当然に取引の実態を理解しなければ適切な仕訳は出来ません。

 

<会計方針と経営方針>

東芝では「不適切」な会計が基で大変なことになっています。トップ経営者が「チャレンジ」と称して無理に売上高を増加させ、結果として数日間で数百億円と言う利益の水増しを行ったという事件です。バイセル取引というそうです。

取引実態が適切とはいえない取引であれば翻訳された会計の世界も当然に不適切となります。

製品在庫を不当に水増しして会計に表現すれば当然に会計は「粉飾決算」となります。こうした操作は最も初歩的な粉飾事例であり、今までに沢山すぎるほどの事例があります。

経済取引そのものが不正な取引であればこれを翻訳した会計の世界も当然に不正なものとなります。翻訳作業がどんなに正しくても経済取引そのものが正しくなければ当然に非難されます。それが会計の辛いところであり会計の限界と言えます。

どんな企業であれ会計ルールの選択は会計方針に左右されます。そして会計方針は結局のところ経営者の経営方針に従わざるを得ないからです。

従って、適切な「仕訳」が出来るためには、適切な会計方針が必要であり、また、そのためには適切な経営方針が前提となる道理です。

 

<対象をチャンと見ること>

会計の生命は「仕訳」にあると言いました。対象を適切に翻訳し、会計の世界に反映するためには先ず、現実の取引が行われている現場の姿をチャンと見なければなりません。チャンと見るためには現場の人々から素直に聞くことです。先入観なく現場をチャンと見ることです。そのことが出来なければまともな会計は出来ません。

経理を行う人は机に座っているばかりではダメだということです。経理伝票の基となる現場に詳しく精通していなければダメだということです。

絵を描くとき最も注意すべきことは対象をよりチャンと見ることです。自分も昔、習っていた絵の先生から「もっとよく見なさい!」と何度も何度も注意されました。自分ではしっかり見ているつもりでも見えていないことが多いのです。

心の先入観が目の視力を奪ってしまうのかもしれません。

会計の世界でも同じことです。

「人は自分が見たいと思うものしか見ていない」とはローマの英雄カエサルの言葉とされています。

「見る」ということは単純なことですが意外と難しいことなのかもしれません。