オリンピックが始まりました(2016年8月8日)

2016年8月9日

                          2016年8月8日

8月になって急に猛暑の日が続きます。
いよいよ「リオ・オリンピック」が始まりました。
今年の8月はどこにいてもオリンピックの話で盛り上がるでしょう。
丁度、時を前後して日本では全国高校野球の大会が甲子園で始まっています。
暫らくの間はどちらを見てもスポーツの話で一喜一憂することになりそうです。
全国高校野球は郷土の期待を背負った高校生たちの熱い戦いです。野球ファンでなくてもその姿を見れば熱く声援したくなるものです。
オリンピックは国を代表しての戦いです。選手個人の名誉は勿論、国家の名誉と威信をかけての戦いです。結果を求めるあまり国家ぐるみのドーピング問題、おカネに絡む不祥事などが絶えません。
確かに現在のオリンピックはそうした陰の部分、負の一面が大きくなっているようです。しかし現場で闘っている選手の一人一人は生の人間です。この会場に来るまでに永い時間をかけて極限まで肉体を鍛え、精神を磨き、自らの体と気持ちに打ち勝った人々のみが集います。
その一人一人の過去には壮大なドラマがあるはずです。
その意味でどの競技を見ても感動しますが自分にとって今回のオリンピック競技では水泳の萩野・瀬戸両君の同級生対決が見ものでした。結果は、荻原君が金メダル、瀬戸君は銅メダルでした。ワン・ツー・フィニッシュとはいきませんでしたが、それは贅沢な望みです。
もう一つは内村航平君を初めとする体操の男子団体競技です。結果だけを求めるのではなく、全力で戦う彼らの姿が美しく輝いて見えるからです。出だしは思わぬミスが出てまともにテレビ画面を見られずに顔をそむけたものです。あれだけ準備し、鍛錬されていても満足には出来なくなるものです。「魔物」はまだいたのです。
世界中の人々の目にさらされ、孤独と闘いながら極限の中で自らと闘い続ける彼らの姿は崇高に見え、神々しくさえ見えます。
見世物宜しく涼しい部屋で見ている自分たちは気楽に応援方々批判もできますが、心身ともボロボロになりながら戦う彼ら、彼女らの姿に沢山の幸あれと祈らずにいられません。
金メダルの数だけを求める野次馬応援団にはならないようにしたいです。