新米社長のための「会計の話」・・・その1

2017年10月11日

<ゲーテの話>

「会計」、「簿記」などの言葉は聞いただけで避けたくなる人は決して少なくありません。「貸方・借方」などときたら尚更のことです。

会計の話はもともとなじみにくい話です。特殊な用語を駆使する独特の世界です。ただ、この会計なくしては今の世の中が成り立ちません。おカネが動くところ必ず会計が必要だからです。

もともと会計の機能は紀元前からありました。映画「ベン・ハー」で、使用人シモニデスが隊商による商売の結果を一枚の書類に託して、主人のベン・ハーに報告するシーンがあります。「here is the accounting!」とのセリフです。その書類がどのようなものかわかりませんがいわゆる決算書類でしょう。

その後、15世紀になり地中海貿易が盛んになった頃、ベネチア、ジェノバなどのイタリア諸都市では商売の結果を組織的に記録・報告するための手法が編み出されました。これが複式簿記としてヨーロッパに広まりました。

文豪ゲーテが「ウイルヘルム・マイスターの徒弟時代」という本の中で「これこそ人間精神の最も立派な発明の一つだ」と絶賛しています。複式簿記によって商売の活動全体を統一的に見ることが出来、「いつでも我々に全体を見通させてくれる」という働きがあるからです。

会計の生命の一つは決算書を通じて会社の全体像を統一的にまとめ上げることです。このような機能を持つ書類はコンピューター時代の現代においても決算書の他にありません。ゲーテはこの特徴を見抜いていたと言えます。

 

<決算書を読む>

「決算書が読めなければ経営は出来ない!」と言われます。

経営者は常に会社全体の姿をイメージしていなければなりません。でなければ個別の問題にも的確に対応できません。個別の問題だけでは経営のバランスを欠くことになりかまねません。ここで、会社全体の姿をイメージする最高の手段が決算書に精通するということです。他のどんな資料をもってしてもこれ以上の手段はありません。

「決算書が読めなければ経営は出来ない」。確かにその通りです。しかし、全ての経営者が決算書を読むための特別な勉強をしているかといえば、そうではありません。逆に本格的な会計の勉強をした経営者は少ないかもしれません。ただ、経営者であれば決算書を読めるよう人知れず努力をしている事だけは確かです。

その代表的な経営者の一人が京セラの創業者である稲盛和夫氏です。稲盛さんは有名な「実学」という本を書いています。名経営者になる人は現場で考え、現実にぶつかって工夫し、見えないものをどうしたら自分の目で見えるようになるかを必死で考えます。その道の専門家、先輩達と現場で具体例の前で格闘しています。

格闘している仕事の中で決算書の持つ効用に気が付きます。そしてリアルタイムで現場経営に生かします。その結果、「決算書を読むことが一番面白い。その月に彼がどんなことをやり、どうなったのかよくわかる」との述懐になります。稲盛さんは月次決算書を見て当該部門の問題点を思いだすことが出来るからです。決算書の背後にいる当該部門の責任者の顔を思い浮かべることが出来るからです。決算書を通じて現場の責任者と対話しています。面白くなるはずです。

 

<簿記と会計>

「決算書」は会計の成果であり結果です。それは経済活動の成果と結果を統一的に報告するものです。従って、経営の現状を確認し、過去の成果を確かめるには決算書を読めることが必須の要件です。ただ、決算書が読めるためにはその前提となる「会計」を理解しておく必要があります。「会計」というと「簿記」でいう「貸方・借方」といった言葉が連想されますが、その前に「簿記」と「会計」の違いについてもはっきりと理解しておく必要があります。

「簿記」は「会計」の文法ですが、しかし、「簿記」を知らなければ「会計」が全く理解できない、というものでもありません。英語の文法は知らなくても英語は話すことが出来るのと同じだからです。私も中学・高校で6年間英語の授業を受けましたが、今もって英語での話は出来ません。「簿記」を勉強したから直ちに「会計」が分るというものではありません。しかし「簿記」を勉強することで当然に「会計」の理解は容易になりますし、「決算書」の理解も容易になることは間違いありません。

日本を代表するサッカー選手の中田英俊さんは現役選手の時から簿記の勉強をしていたと聞きました。将来を見据えた準備が出来るということも優れた人である証拠といえます。

 

<絵画と会計>

今、一つのリンゴを二人の画家が描いたとします。キャンバスに描かれた二枚のリンゴの絵はそれぞれ微妙に違います。しかし、この二つの絵はそれぞれ“正しく”リンゴを描いた絵だといえます。どちらかが間違った絵だとはだれもいいません。

絵画という芸術はartといいます。会計という技法もart です。

絵画と会計はまったく関係のない世界のように見えますが実は似かよった働きがあるのです。会計の対象はリンゴではなく企業の経済活動です。手法は油絵具ではなく複式簿記です。描かれる場所はキャンバスではなく決算書です。

会計は経済活動という対象を複式簿記という手法でもって決算書というキャンバスに表現する一種の表現活動です。ということは同一の経済活動を同じ複式簿記の手法で表現しても、表現する人が違えばその結果は決して同じというわけではないということです。このことは先ほどのリンゴの絵の場合と同じことです。

 

<経営者が異なれば利益も異なる>

ですから、同じ会社についての会計であっても経営者が違えば別々の決算書が生まれます。三人の経営者が決算を行えば三つの決算書が出来上がります。当然にそれぞれの利益の金額は異なります。このうち、どれかが正しくて他は間違っているというものではありません。それぞれが正しいと云えます。結果としての利益の金額が数字的に正しいかどうかというものではなく、決算を行うにあたって採用した会計ルールの選択適用の判断が正しいかどうかが問われるのです。

会計は誰がやっても同じ結果になるというものではありません。しかも会計の結果いかんによっては会社の今後の運命が決まる事さえあります。そこが会計の面白さであり難しさです。

公認会計士の試験でも税理士の試験でも「会計」は重要な試験科目です。そしてこの試験に受かるとなんとなく「会計」が分かった気分になるものです。それは無理からぬことです。しかし、それは会計に関する沢山のルールを単に覚えただけかもしれません。

会計ルールを知ったから会計が分るというものではありません。

というのも、会計のルールを知ることは勿論重要な事ですが、実は、そのルールを適用して実際に会計を行う人間の資質・判断こそが最も重要であり、この人間がキャンバスではなく決算書に描かれる企業の姿を決めるといっていいからです。

 

<ルールが変われば利益も変わる>

簡単な例ですが減価償却の話で見てみます。

設備更新のために1,000万円の機械を一台買ったとします。

この1,000万円は買った時の費用とはしません。この機械を一定の年数に案分して費用化します。いわゆる減価償却です。

減価償却の方法には主に定率法と定額法があります。定率法は最初に多くの金額を費用化します。定額法は毎年一定の金額を費用化します。どちらの方法も一般に認められた方法であり実務に使われております。

更に耐用年数があります。機械を何年で償却するかということは、機械の投資額を何年で回収するかということです。

経営者Aさんは積極的な人です。なるべく早い時期に投資額を回収したい方針です。

減価償却方法は早期償却が可能な定率法を選びました。

Aさんは、この機械で造る新製品はその製品寿命を最大でも5年以内と見ています。従って、耐用年数5年、定率法による減価償却を進めます。ということは

初年度の減価償却額は年間400万円です。

勿論、税務の計算とは違いますからAさんは税務の調整計算が必要となります。

一方、経営者Bさんは安定志向の人です。

  1. 000万円の設備投資額も毎年平均的に回収して行く予定です。

Bさんは定額法を選択し、耐用年数も一般的な年数を選びます。一般的とはいわゆる税務の耐用年数です。税務の世界では細かく耐用年数が決められております。当該機械は

12年と決められています。税務で言う法定耐用

定額法で耐用年数12年であれば初年度の減価償却費は84万円です。

Aさんの会社は減価償却費が400万円で、Bさんの会社では減価償却費は84万円です。ということは利益の金額も当然にそれだけ違うということです。

AさんもBさんもどちらも間違いではありません。経営方針の考え方が違うだけです。

保守的な経営者であれば会計ルールの中でも保守的なルールを選ぶでしょう。積極的な経営者はより積極的な会計ルールを選ぶはずです。会計ルールは多種多様です。その企業に適した会計ルールのセッテイングは無数にあります。理屈のつく限り経営者の経営方針に最も適合した会計ルールを選んで会計を行います。従って、同じ会社の経済活動であっても選択適用する会計ルールのセッテイング次第では全く異なる決算書が出来るのです。

 

<貸倒引当金の話>

多くの決算書に「貸倒引当金」という項目があります。貸借対照表の資産の部にマイナス表示されています。売った代金が一部回収できないことへの対応です。

会計ルールの中でも重要なルールの一つである会社法でもその計算規則で「取立不能のおそれのある債権については、・・取り立てることができないと見込まれる額を控除しなければならない」とされています。

事業活動で生じた代金が全て回収できるとは限りません。回収できないこともあります。健全な経営のためにはあらかじめ回収できないと見込まれる金額を見積もって、回収予定金額から差し引いておくことが一般的な会計処理です。

差し引くべき金額をどのように見積もるかは判断の難しいところです。

消費者金融のアコムの決算書を見ますと営業貸付金等が29年3月期連結ベースで約1兆円あります。これに対して貸倒引当金が660億円ほどあります。割合にして約6,5%です。

一方、大手メーカーの三菱重工は29年3月期、連結ベースで売掛債権が1兆1千億円ほどです。貸倒引当金は89億円です。業種、業態の違いによって大きな差があります。

基本的には過去の経験値から引当額を算定するわけですが実際には「取立てることができないと見込まれる額」を算定するのは容易とはいえません。

ここでも経営者の経営姿勢、経営判断が結果を左右します。より安全を期する経営者はより多めの引当額を考えます。かと言って、いい加減では困ります。

その会社に「適切」といえる引当額を算出するにはその会社に見合った算出のルールを定めておく必要があります。売上債権の中身を分類し、回収に当たっての危険度合をあらかじめ数値化する等のルール作りが必要です。そうした会計ルールを積み上げて会計実務が行われています。

 

<人と会計>

会計とはそうしたものです。勿論、時の経営者の身勝手な理由で会計ルールを勝手に変更するといったことは許されません。ただ、合理的な理由がある限りどのような会計ルールの選択適用も出来なくありません。

この意味で「会計」は確かに数字が沢山並んだいわば特殊な世界ですが、そこに表示された数字は会計ルールを選択する人間によって、その人間の意思もしくは方針に基づいて整理統合された結果です。しかも、その人間は時に自分の人生を懸けて数字と向き合っています。

まさに決算書に現れた会計上の数字は、場合によっては多くの人々の将来をも左右する見えない力を持った不思議なものです。

この意味で「会計」の世界は決して無味乾燥な世界ではありません。

逆に、極めて人間臭い世界が「会計」の世界であるといえます。